涙についての考察
秋も終わったところで、以前書いた"訳もなく泣きたくなる"そんな「涙」について、ちょっと考察をしてみた。
たとえば今、私には少し気がかりなことがある。
だけどもそれは憶測に過ぎず、また、私が踏み込むこむべきではないこと。
何もできないことが悲しかったりするのだけれど、そんなことは考えていても仕方がないのだ。
「考えていても仕方がない」
と、どこかに保留しておくのが、年齢とともにだんだん上手になってきたように思う(それでも下手な方だけど、若いころよりは)。
きっと、たくさんの仕方がないの保留箱にたまったものが、"訳もなく泣きたくなる"の「涙」を遠隔操作しているのだろう。
ホントは、理由はちゃんとある。
仕方がないと保留している"それら"なのだ。
ライターの仕事で、新しいタイプの記事についての依頼(相談)があった。
いつもより少し手間がかかるのと、最近始めた新しい仕事、メインの店の仕事が今が繁忙期であることもあり、引き受けたはいいが、きちんとやれず迷惑をかけてしまってはいけないので、一旦お断りをしたのだけれど、いろいろな事情を考慮してくださるとおっしゃる。
そこまで配慮いただいてお断りするのも恐縮だったので(また、そんな立場でもないので)、自分で自分の背中をドンと押して引き受けた。
私の母は、私が物心ついた頃からずっと仕事をしていて、それは本当によく働く人だった。そして今も、とある指導員として現役で働いている。
仕事だけではなくスポーツも好きで、ママさんバレー、ママさんソフトボールをかけ持ちした上に、スポーツ少年団のバレーボールの指導員もしていた。くわえて、レクリエーション協会の指導員をしていたこともある。
そうこうしていたら、なんとゴルフまで始めてしまい、そちらもメキメキと上達をして、私はゴルフのことは全く分からないけれど、どうやらなかなかの腕前の様子。
と、話しているだけで目が回りそうなことを、4人の子育てをしながらやっていた人。
そんな母が私に言う。
「仕事の話があるのなら引き受けなさい。働けるうちにがむしゃらに働かないと」
私は母のそんな血筋を到底引き継いではいないけれど、おそらくその言葉が頭のどこかにあるのだと思う。
この年齢になって急に、今しなければという思いが強くなり始めてる。
「今思い返すと、40代が一番輝いていたように思う」
これも母の台詞。
私は今、まさにその40代。
40代は女性として、失うもの、あきらめなければならないことに直面する時期でもある。
だけど置かれた場所で、命を燃やしてもうひと踏ん張りする時期でもあるような気がしている。
40代に入って、いろいろなチャレンジが舞い込んでくる。
それらは不思議と過去の点と結ぶつくものが多いから、なんだか私はうれしくなってしまう。
悩みながらもまっすぐと向き合ってきたことが、今、少しずつ何らかの形で現れているような感覚である。
そんなこんなで目まぐるしい日々。
考えても仕方がないことは、
考えないようにする。
ときおり訳もなく泣きたくなったら、
こっそり泣いてスッキリすればいい。
また笑える自信もある。
叶わない夢もこの手に握りしめて、(時々サボりながらも)私らしくがんばる。
がんばるよ。
いつかの夕空。
きっと何かを願いながら撮った写真。
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