自分の声
ずっと自分の声が好きではなかった。
とくにマイクを通した声や、動画なんかに入った自分の声。
でもそんなコンプレックスに反して、子供のころから音読が好きだったし、小学校のころは校内放送の委員に立候補したりしていた(なのに慣れるまでめちゃ緊張して声が震えたり(笑))。
多分音が好きだから、言葉を発するときのトーンを聞き分けるのが好きなのだと思う(ちょっとマニアック)。
一語一語のトーンを聞き分けるのが好きで、
だから方言のイントネーションを習得するのは割と得意だと思う(披露する場がないけど(笑))。
話がちょっとそれてしまったけれど、コンプレックスだった声。
あれから大人になり長い時を経て、数年前からまた、コンプレックスに反して人前で話をする仕事を始めた。それはお仕事の話をいただいたタイミングが、父が亡くなった直後だったからだと思う。
父が、やりなさいと言ってくれたような気がしたのだ。立ち止まることなく、忙しくしていたい心境だったとも言える。とにかくあのタイミングじゃなかったら、サーフショップの仕事もあったし、ライターの仕事も始めたばかりだったし、引き受けていなかったかもしれない。
最初は、声は震えるわカミカミだわで散々だったけれど、やはりどんなことでも慣れてくるもので、だんだんと、スムーズに抑揚をつけて話せるようになってきた。
(実はショップの波情報でたまにやっていた音声案内は、このための練習だったのでした(マル秘情報 笑))
そうこうしていたら、声や案内する内容について、たまに褒めていただけるようになった。褒められると、大人もうれしいものなんだと気がついた。少しだけ、自分の声も好きになれたような気がした。
なんでこんなことを書いたのかと言うと、実は今日、また久しぶりに、声を褒めていただいたから。
いつもは幼い子どもと接することが多いのだけど、今日は高齢者の方々だった。ちょうど、亡くなった父と同じくらいだと思う。
なんとなく、父がその中にいるような気持ちで、話をした。
コンプレックスだった自分の声に少しだけ自信が持てるようになったのは、父のおかげだと思ってる。そしてこの仕事をとおして、教師だった父の血筋を、少しだけ覚醒させてもらった気がしている。この歳でこんな自分に出会えると言う、人生の不思議。
案内の途中、足場の悪いところでお客様に手を差しだす瞬間があった。変な意味ではなくそのときの温もりと感触が、父を鮮明に思い出させた。
何だか一瞬、涙が出そうになった。
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