消えては現れる答えのようなもの
気がつけば、ブログを放置している間にすっかり秋。
本当は記録しておきたいことがいろいろあったこの数ヶ月だった。
思春期の息子たち、長男坊はスマホの世界にハマっている様子。子どもたちのSNS事情には、いささか眉を寄せたくなるようなことが多い。大人のようにスルーができない上に、わざわざややこしくなると分かっている方向に、皆が導かれているようにも見える。白とグレーの狭間で、揺れているように見える子どもたち。
闇に落ちるなと口を出したくなる気持ちと、子どもたちが揺れ動く心で作り出している世界に口を挟んではいけないと言う気持ちが葛藤する。
思いの外悩まされるものだなあと、ある意味驚いている。正解は分からないが、口を出さずに見守ろうとする気持ち、それは絶対にダメ!と思ったときの止められない気持ち。私の気持ちに正直に行こうと思う。
つくづくと、幼い頃に培う根っこの大切さを痛感する。幼い頃は、愛されていると言う自信をしっかりつけてやるべきだと思う。そうしてきたつもりだから、少しはそれを信じたいとも思っている。親も学ぶことが多いなあ。
次男も思春期の狭間に揺れている1人であるが、まだ序章と言ったところだろうか。割と1人の時間も好きな子ではあるから、流されずにいてくれるといいなあと見守っている。
彼の目標であるサーフィンの方は、絶不調が続いていた。でも久しぶりのコンテスト(地元支部のコンテスト形式の練習会)があり、そこでスイッチが入る音が聞けた。本調子ではないようだが、練習の時よりも良かったように思う。何よりも、ずっとこだわって練習していた技を、rd1のファースライドで披露できた。本人的には完璧ではなかったようだが、久しぶりの試合のファーストライドで難易度の高い技を仕掛けて成功させるにはメンタルの強さが必要。そして、どれだけこの技にこだわっていたか、見てもらいたかったのか、我が子の思いが伝わり胸が熱くなったことである。
こんなとき、「もう少しドシっと構えて子どもたちのことを信じてあげなさい」と神様から言われているような気持ちになる。
結果は2位。優勝することはできなかった。
でも、「今日、自分のライディングができたと思う人」と言う問いかけに、会場でたった1人思い切り手を挙げていた(で、気まずくて、その手で頭を掻いていた(笑))。
アスリート的にはそんなんで満足するな!と言ったところかもしれないが、彼のこの自己肯定感は、大切にするべきところかもしれないと思う。
無論、私も今回の試合には満足できた(相も変わらず「やれやれ…」の親バカだ)。
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スポーツの世界も、進むにつれてビジネスとしての一面を垣間見るようになる。そんな一面に、揺れていたのは多分私。
でも、親が子どものことに必死になるのは自然なことだし、私が悩んでいるのと似たようなことを、きっとどの親御さんも悩んでいるのだと思った。
同時に、まだまだ駆け出し中の身で、そんなことに翻弄される必要もないのだと思った。
今はガムシャラに目の前の壁と向き合って行く時だと、またいつ揺れるとも分からないが、そんな答えのようなものがようやく見つかった。
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