6月の徒然
このコロナ禍は、くしくもいろいろな本質と向き合う機会となっている。
自分にとって本当に必要なものや、どんな幸せを求めているのか?などなど、、、。
人間関係についてもしかり。
人と会わなくなると、本当に会いたい人が見えてくるのだなあとつくづく思った。
人生の先輩たちから耳にする話では、年齢とともに人生の断捨離、ひいては人間関係の断捨離をする(したくなる)ときが訪れるようだが、なんとなく、その気持ちは既に分かり始めている。
そうして人は、年齢とともに孤独になっていくのだろうか…とも思ってみたりする。
でもきっと人間関係は、そんなにすぱっと断捨離と言うわけにもいかないはずだ。
「できるだけシンプルに」
そう願っていても、それぞれの"思い"と言うものがあるのだから、仕方がないのではないだろうか。
少しっくらいの"こじれ"は、持って生きていくよりほかないのだろうなあと、諦めのような、頼りないなりの覚悟のような、そんな面持ちである。
しいて言うならば、その"こじれ"こそが、生きているということなのかもしれないなあ。
さてさてそんな中、我が家は思春期ボーイズが反抗期真っ盛り。
まあ、単純で、かわいいものである。
とか何とか言いながら、母も単純であるからして、間に受けてヒートアップすることは多々。
どうせ私はこんな性格だから、いっそのことお互いに正直にぶつけ合って、疲れたら休む。おいしいおやつをたまに一緒に食べたりするのもいいかもしれない。
そんな風に、乗り切ろうと思ってる。
どうであれ、愛していることに変わりはないのだ。
息子たちも思春期に翻弄されていることだろうけど、母だって複雑なお年頃である。
体や心が目まぐるしく変化。希望の見える成長期とは違って、それは老いへと向かう道である。
頭痛がするほどのイライラが襲ってきたら、できるだけ誰にも聞こえないところで「あーーーイライラする!!」と声に出して言ってみることにしている(意外と効果がある)。
今自分に起こっている 起こりつつあることを、大げさすぎず、でも時にはこの身を愛しみながら、じっくりではなく1歩引いた辺りで寄り添っていこうと思ってる。
何も特別なことではないのだ。
そうそう。体のいろいろな変化のなかで、音に敏感になっているのもすごく感じる。
不快な音がとても気になるのだ。朝のテレビの雑音もそれで、家族が席を立ったらすぐに電源をオフにする。
テレビを消すと、なぜか気持ちがちょっぴりすっきりする。そして代わりに音楽をかけるのが最近のちょっとしたマイブーム。
その日のインスピレーションでジャンルや曲を選曲する。
今朝は久しぶりにジャックジョンソンを聞いた。
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ライターの仕事は、新しい繋がりからいただいた案件が好評のようでうれしい。以前書いたことがあったとてもすてきなサイトで、いつかまたチャンスがあったら…と思っていたところであった。
念ずれば花開く
と言うのは本当ではないかと思った。
7月からは新しくいただいた紙媒体の仕事がありそう。不安もあるが(何気に新しい事は苦手。でもやる(笑))、体当たりでがんばろう。
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脈絡なく綴ってしまうが、先日は、中3になった息子の副担任が、かつて私が中3のころの担任であることが発覚した。
実は新年度の授業がようやく始まったころに息子が、「今度の数学の先生は分かりやすい」と言っていて、入学以来初めて聞くようなそんな言葉に良い予感を感じていた。
どんな先生なんだろう?と思っていたら、それが、その先生だったのだ。
学生時代を振り返っても、記憶に残る先生と言うのはそう多くはない。
その先生は、その1人であり、とても良い先生だった。
「人生のなかで出会う"心に留まった人"と言うのは覚えておいた方がいい。後になって再び繋がると言うことが本当にあるから。」
そんなことを仰っていたのは先生ではなかったか。
今になって、それは本当であると感じることが多々。
縁とは本当に不思議なものである。
先日見たWレインボー🌈をお裾分け♪
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