年賀状
みんなが十分に傷ついた。これ以上どうすることもできなかった。
そんな、思い出しても仕方がない出来事は、荷物の奥にそっとしまって、背負いながら生きていこうと決めたのだ。
荷物をいちいち取り出していては前に進めない。忘れないけれど、できるだけ、忘れたように生きていこう。そんな風に(当人同士とは)接しながら生きていこう。思いやりを持って。
そう決めているのに…。
毎年、たった1通の年賀状に深く傷つく。
できてしまった溝を、毎年表現を変えて、いちいち見せつけられるようなそんな年賀状。
溝ができたことは私にだって分かっている。
でも私にだって正義はある。
お互いにあるのだと思っている。
だからわざわざそんな風に見せつけなくてもいいのに。
なぜ?
毎年年賀状が届くたびに、思い出さないように努力していることを、再び思い起こされる。
もっと苦しめと言われているみたいに。
私はそんな風に生きるのは嫌だ。
負けない。
そう思いながら、毎年出していた年賀状には、誠意を込めていたつもりだった。
そんなわずかに残る誠意も、今やもう尽きてしまったように思う。
でも
これはたった今の気持ち。
先のことは分からない。
ただ、どこかに吐き出したい。
そう思いながら書きました。
自分の今の記録として。
夫は、時間が経てばまた変わるかもしれないと言った。
そうだといいなと思う。
私は自分らしさを諦めたくない。
4コメント
2017.01.05 10:31
2017.01.05 10:26
2017.01.05 01:39