思い出はなくならない

先日、幼い頃とてもかわいがっていただいた近所のおじちゃんの訃報が、舞い込んできました。
「おじちゃんに会いに行っておいた方がよいかも」。そんな話を母としていた矢先でした。


そして今日は雨の告別式。


私は薄情なところがあって、あんなにかわいがってもらっていたのに、大人になるにつれだんだんと疎遠になり、もはやここ10年くらいは完全にご無沙汰をしていたような気がする。年賀状を送ることすらしていなかった。
だから母から訃報を聞いたとき、悲しかったけれど、こんな私が今さらどんな声かけをしてよいのか分からず、告別式に行こうという母の言葉に、わずかに戸惑ってしまうダメな私がいたのでした。


でも行ってみて分かったんです。


とっくに色あせているつもりだった思い出は、

実はまったく色褪せずに、ただ私のどこかに静かに格納されていただけなんだということ。

おじちゃんはすっかり痩せてしまってはいたけれど、何も変わらない気がした。
最後まで、凛としておられたのだなあと思いました。


人見知りな私が、とっても大好きになったお隣のおじちゃんとおばちゃん。そしてお姉ちゃん。
一人でトコトコと遊びに行くと、いつも温かく迎えてくれた。
兄弟のなかでもとくにかわいがってもらっていて、デパートに連れて行ってもらったり、動物園や、おじちゃんの会社のレクリエーション行事に、連れて行ってもらったこともあった。
おじちゃん家でカラオケを歌った思い出、歯を見せて笑うおじちゃんの笑顔。


おじちゃんがかわいがってくれた幼いころの記憶は、今の私の一部に、しっかりとなっています。


連絡もしない無礼な私に、幼いころの幸せな記憶を本当にありがとう。

90年の長い人生、本当にお疲れ様でした。


海日和♪

南国宮崎の海の香りをあなたにお届け。 夫のサーフショップのお手伝いをする毎日、一人の母として、一人の女性として、日々の徒然を気ままに綴ります。

2コメント

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  • hiromix

    2017.02.06 00:11

    @welina-kaiね。ホントお疲れ様だよね。 できれば生きているうちに会いに行くべきだったけど…。 大切なことに気づけたから、お別れからは逃げなくて良かったと思ってる。
  • welina-kai

    2017.02.05 14:13

    ひろみさんの人生に関われておじいちゃんも幸せだったはずです。 たまに思い出してあげることが1番の供養だとわたしは思います。 90年間お疲れさまでしたと言う言葉がとても似合いますね。