ノーサイド
生きている間というのは、いろいろなことがあるけれど、
命を終えるときは「ノーサイド」。
なにかそのような、「ノーサイド」の空気感というものを感じるときがある。
それは、去っていく人からの最後の贈り物のようなものかもしれない。
私にも通したい意地みたいなものが一丁前にあったりするけれど、
そんな贈り物すら受け取れない自分であってはいけないと思う。
昨日、父の容態が思わしくないと連絡があり病院へ。
一夜明け、なんとか落ち着いた様子でほっとするけれど、きっとこれからは、このやりとりが何度か続くのかもしれない。
口に出しては誰かが傷つくかもしれない言葉が、心のなかを行き来する。
でもきっと、たどり着く気持ちはみんな一緒なのかもしれないな。
昨日はなんだかとても疲れた。
すぐに眠ってしまいそうだったけれど、なんとなく起きていて、テレビを見ながら息子達と冗談を言い合って笑った。
一人、二人と寝静まり、歯を磨いていたら涙が止まらなくなって、少しの間私は泣いた。
長男坊が、それには気づかないふりをして、なぜか一緒にずっと起きていた。
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2017.09.13 05:55
2017.09.13 05:18