悲しみ
毎日を過ごすなかで、やっぱりおもむろに父を思い出すことがある。
病床に伏せていたときは、その現実とばかり向き合っていたような気がするけれど、今は笑顔の父を思い出すことも多い。
そんな父に、もう少しだけ孫たちの成長を見届けてもらえたら、どんなに幸せだっただろうと思う。
そしてそんな素直な気持ちとは裏腹に、もう考えたくないと封印した、さまざまな後悔、怒り、悲しみが、今でもくすぶっていることも思い知るのだった。
そんな波がやってきてしまったときは、もうそれ以上は考えない。
ただただ悲しみを感じて、受け止めて、波が過ぎて行くのをひたすら待つ。
そんな思いを抱えているのは、私だけではきっとない。
父が旅だったときに、
「本当の意味で心が癒えるには時間がかかる。前を向こうとすることも大切だけれど、時間がかかって当たり前だと思って、あまり無理をしないことです」
そう言ってくださった方がいた。
その意味を、日々を追うごとに噛みしめている。
暗い方に暗い方に向かって生きていくのは嫌だ。藁にすがってでも、私は明るい方を目指して生きていたいといつも思ってる。
だけど、悲しいときは悲しいで、仕方がないのだろうなあ。
「桜、ネコ、電車。この言葉を覚えておいてください。」
先日、長引く頭痛で脳外科を受診したときに、処置を受けているカーテンの向こうからそんな声が聞こえてきた。
いくつかの質問をしたあとに、さっきの3つを答えるよう促されている。
「桜、ネコ…」
おじいさんの声がそこで止まる。
まったくの知らない人なのに、私は祈るような気持ちになる。
「もう一つは乗り物でしたよ」
とヒントを出されるとすぐに
「電車」
そうしっかりとした答えが返ってきた。
そのあとの質問にも、しっかりと答える声が続く。
ホッとしながら、なぜだか勝手に涙がこぼれていた。
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2018.05.11 23:16
2018.05.11 23:11
2018.05.11 10:08