出会えたことがうれしい
先日私は、45歳になった。
誕生日の季節には、なんとなくだけれど今までの人生を軽く振り返ってみたりする。
そして毎度のことながら、私の人生のテーマは、やっぱり出会いなのかなあと思う。
これまでいろいろな出会いがあって、別れがあって、ときにすれ違いがあった。
悲しい別れやすれ違いもあるけれど、なんとなく最近は、そう言ったことをいちいち取り出して思い出すことはしなくなったように思う。ちょっぴりだけど、スムーズに生きる方法を身につけたのかもしれない。
別れもあるけれど出会いもあるわけで、人生のちょっとしたキーパーソンとなるような大切な出会いに触れる折り、「大丈夫だよ」そう言われているような気持ちになる。ちゃんと出会えている、そう思えるのだ。
心で付き合える人というのは、人生の中でそう多くはないのかもしれない。
だからこそ大切にしなくてはと、最近ますますそう思うようになっている。
最近の息子たち。
息子達にはいつだって笑っていて欲しいし、楽しんでいて欲しい。
だけど息子達のことを思えばこそ、ときに息子達の顔を曇らせるようなことも言わねばならないこともある。
迷ったときは、何のためにそれを伝えるのかを考える。
もちろん息子のためなのだけど、その行く先が、私が望む形になってはいないか?本当に息子が望む形なのかを考える。
息子達には、自分の人生を歩む自由をあげたい。
せっかく生まれてきたのだから、親が引いたレールではなくて、自分の世界を作り出して欲しい。
そのための手助けが、私の役割なのだと思ってる。
とはいえ決して確固たる強さが私にあるはずもなく、いつだって迷い、たまに矛盾してしまうこともしばしば。
でもそれでいいのかなあとも思ってる。
柔軟に形を変えながら、私も親として成長していきたい。
ただ何となくベースとして、心のどこかにとどめておければ。
息子たちも、子どもながらにいろいろな出会いを経験している様子。
どうか行く先々で、すてきな出会いがありますように。
そう願っている。
子どもたちの話になってしまったけれど(笑)、
「ちゃんと出会えてる。こんな幸せなことはないじゃないか。大丈夫。がんばろう(←とりあえず言ってしまう月並みな言葉)」
そう思いながら、45歳がスタートした。
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