悲しみと言うもの
人は忘れる生き物だからと誰かが言っていた。
あれほど悲しかったり許せないと思っていたことが、きれいさっぱりとはいかなくても、月日を重ねるごとに薄れていく。
忘れると言うことはなんてありがたいことだろうと、この歳になって身にしみて感じている。
忘れるから大丈夫。
そう思っていたけれど、日を追うごとに増していく悲しみもあるのだなあと感じることもある。
さらに月日を重ねれば、この悲しみも忘れてしまうのかもしれないけど、今のところそうなりそうには思えない。
(でも私のことだから、忘れちゃうのかな(笑))
泣いたり笑ったり、平凡ながら幸せを感じて生きていて、決して悲しみに捉われているわけではないのだけど、でも時おりこうして「忘れてはいない」と言うことを、ふいに思い知らされることがある。梅雨の晴れ間の爽やかな青空さえも、目に染みて鼻の奥がツンとする。
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とここまで書いて下書きに残してあった。
読み返していて思ったことがある。
忘れられないのではなくて、きっと忘れたくないのだろう。
それが悲しみだけに染まるものであるならば、私の本能はそれをベールで覆おうとするだろう。
息子たちが私のお腹にいたときのこと
生まれた瞬間
ちょこが我が家に来た日のこと
私の膝の上に初めて乗った日のこと
父の涙
父の最期
愛犬と過ごした最後の一夜
南十字星とミルキーウェイ
あの日のピンク色の夕空
あの日の水面のキラメキ
どれがどのくらい大切かとか、比べようもない。そのようなもの達は、たとえそれが悲しみを含んでいたとしても忘れることはないだろうなあ。
つらつらと書き連ねて心の整理をしてみました。
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梅雨明け前に、書いては止まり、書いては止まりして放置していた日記。
記録としてアップしておこう。もう8月も終わろうとしている。
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